ダンジョン映画とムービーフェアリー ~VRドラマ雑考~

 皆さんは子供のころのことを覚えているでしょうか。小学生くらいのあなたのことを。

 僕はそのとき「樹」でした。森に生える樹です。あ、まだブラウザバックしないでください。学芸会の児童劇の話です。樹の役だったんです。みじめ~~。

 その時の光景をおぼろげながら覚えていますが、同時に、なんだか不思議な気持ちを抱いていたように思います。

 ちょうど舞台の中央あたりに生える樹でしたので、自分からは王子様を、姫様を、そのしもべたちを近い位置で見ることができた。いつも映画館とかで自分がいる客席という場所は、舞台の床越しに黒く遠く………。

 筆者はまさに演劇の真っただ中にいたのでした。まさに物語の真ん中に生える樹になり、物語のストーリーを見渡せる位置にいたのです。今考えると貴重な体験でした。あれですよ、リズと青い鳥の舞台の壁になったり飼われてるフグになるみたいなやつ。

 

VRドラマのお話です

 今回は、前回に引き続きVRドラマのお話です。次回のIf Vtuberが楽しみなところではありますが、それだけでは収まらない話題を目にしてしまいました。

 360°映像のVRドラマ。

 その名の通り全天周視界で進行するドラマという案ですが、これはめちゃくちゃおもしろく、また未来を感じてしまう単語であります。

 皆さんもあれじゃないですか?Vtuberが演じるドラマの真っただ中に飛び込みたいとか、そういう思いはありませんか………。

 そしてVtuber(バーチャルアクターくらいの意味で使います)の人々がVRドラマというジャンルを作るにあたって、360°化という道は大きな可能性を秘めているとも言えます。前回対比したテレビドラマという形式を、大きく飛び越していくような可能性があるのではないかな~と。

 

360°にするとめちゃくちゃ夢が広がる なんたって360°だから

 まず第一回のVTV内で放映された「If Vtuber」を参考にしながら、この先の発展を予想してみましょう。「If」は実に史上初めてか2回目くらいのVRドラマですから、まだまだどう進展するかわかりませんが、今回は映像技法に絞り考えてみたいです。

 第1回「If」の映像を分析してみましょう。舞台は一般家庭のリビング。番組が映るテレビと、美麗な着物の月詠さんがテレビを見ている後ろ姿から物語がスタートします。続いてソファーを斜め上から映すカットになり、つくしさんを呼び寄せる様子が映ります。続いてまた視点は移り………

 このように、バーチャルカメラは複数台設置されていて、適時計画の流れに沿って切り替えることによって、物語の流れを作っているといえます。カメラに映したいもの&行動には、上がったり下がったり、寄ったり離れたり、それにふさわしいアングルがあてがわれる。このようにカットの切り貼りで映像を作ることを「モンタージュ」といいます。とりあえず「If」、モンタージュってます。

 カメラは基本的に固定されており、横に動いたり首を振ったりすることはあまりありません。シンプルで簡単な、手堅いつくりと言えるでしょう。協力者が限られる中で生放送するために施された工夫を感じます。

 

 さて、ここまで観てきた”映像”技法は、現実世界のドラマや映画と同じやり方がされているように見えます。視聴者は複数台のカメラから家庭を覗いているわけです。

 ではたとえば、もっと凝ったものをつくれようになったとしたら。もっと多くのバーチャル人々の協力が得られて、時間も無制限に使えるVRドラマを作るとしたら?

 VR空間ですから、クレーン撮影や空撮も自由自在です。物理的な大きさがありませんから、セットも広く広くできます(重くなっちゃうとは思いますが)。テレビ番組にも匹敵するような面白い映像が作れるに違いないと思います。しかし。

 筆者は多少夢見がちなので、さらに先を考えずにいられません。それが全天周化です。首を振って360°見渡せるドラマは、今テレビでは見ることができません。しかしVR空間なら、リアルの全天周カメラを使わずとも、比較的簡単に360°映像を得ることができますし、配信もシームレスです。

 

 加えて言うのならば、「映したくない場所は映らなくできる」というのも大きいでしょう。たとえば、実写ならセットとセットのつなぎ目が存在する場合、丁寧に隠さないと、勝手に首を振り回す視聴者が発見してしまいかねないとか、いろいろな制約が入ってしまいます。カメラのある位置から見える場所すべてが画面になるという特徴は、見せたいものをたくさん見せることができるのと引き換えに、見せたくないものまでたくさん見えるようになってしまうという事態を呼び寄せてしまうのです。

 しかし、VR空間上ならそこを解決できます。映像トリックでごまかさないといけないような特殊な場所や現象も、あらかじめ用意しておいた仕掛けで引き起こして、さらにその舞台装置をまるきり最初から見えなくしてしまう、ということができる。これはとても大きな利点ではないでしょうか。

 3DCGアニメでもいいんじゃないかって? もちろんそうだとは思います、が、360°すべての動くものやキャラにアニメーションをつけていくのはなかなか骨の折れる作業なのではないかとも思うし……… 場合によると思いますが、キャラクターがたくさん出てくる場合ならば一人一人に演技してもらった方が、簡単に上質なものができると思います。どうなのでしょうか。全部わかんねえ。

 ともかくも、実写・アニメよりも全天周映像を作りやすいという事があると思います。

 VRドラマが映像的に強みを持ちたいとき、360°化は悪くない選択肢なのではないでしょうか。

 

映像技法が問題だ

 じゃあもう少し歩みが進んで、実際に360°ドラマを作れるようになったら? 少なくとも配信システム的には全天周映像を視聴者へ届けられるようになった時、どのように映像を作っていけばいいか考えてみましょう。というか考えてみました。

 まず、既存のモンタージュ技法が役に立たなくなってしまいます。従来のドラマのように、カメラをいくつもおいて頻繁にカットを切り貼りしたら、視聴者はヘッドセットやスマホの視界の中で混乱してしまうことになるでしょう。臨場感が増した分、脳の理解が追い着かなくなることが考えられます。

 モンタージュれなくなると何が問題かというと、視線/注意を誘導できなくなる。

 シーンを想像してください。たとえば、人から衝撃的な事実を聞かされたバーチャル埼玉県民がいたとしましょう。普通の映像なら、人から聞いているカットは二人分の姿が収まる遠くからのカット。驚く瞬間だけはつくしさんの顔がクローズアップされたカットにして驚愕を表す・・・などのモンタージュを行い、「驚愕している」ということを演出します。360°の没入空間でこれやったらいきなりガチ恋距離です。たぶん結構の数の人が呼吸困難になるのではないでしょうか。つくしちゃんをすこれ。

 まあ驚愕、なら物語の流れと反応の派手さで自然と視線が向くかもしれません。だけどたとえば、その直後にどこかの国王さまが視界の裏でスクワットしていたら。のらの貴人が静かに微笑んでいたら。それも無言で。見逃してはいられないのに、そのことに気づけないのです。ここが恐ろしいところです。

 「見せたいものを確実に見せられなくなる」ということが起きうる。

 

ではどうするか

 自分なりにいくつか解決法があるのではないかと考えます。

・視界内で自然と誘導されるようにする「絵巻物」型

 人間の視界は左右に100°、上下に60°ほどが確保されています。この範囲からあまりはみ出ないように見せたいものを見せ、視線・視界をどこか違う場所へ連れていきたいときは、連続した動きで導く、という感じでしょうか。たとえば、目立つ赤いボールが転がっていったら、それを追いかけるように視線が動くでしょう。シャイニングかなにか? 

 鳥獣戯画などの絵巻物も、時間の連続性に沿った絵の配置がされており、ひとつながりの紙面上で物語の流れがわかるようになっています。

 

・見せたいところをまんべんなく配置する「ゲームブック」型

 あの名シリーズ「ウォーリーをさがせ」のように、小さな見どころをたくさん仕込んだ映像です。どこを見ても各自が小ネタ・小芝居をやっていて、視聴者はある程度能動的に視界を滑らせてそれらを楽しみます。従来の実験的な全天周映像によく使われているシチュエーションですね。そもそも視線の誘導を必要としない映像です。反面、なにか一つのメッセージ・一本筋の物語を見せたいときには不向きかもしれません。

 

・そもそも視界を制限する「壁の花」型

 すこし苦肉の策じみてるかもしれない。たとえばバーチャルカメラを壁際に置き、背後に完全に何も起こりえない空間を作ってしまうという方法です。自然に視線は一方を向くようになりますが、360°映像の利点が殺されてしまうのは惜しいですね

 

 

 ホームドラマ・ファンタジー・アクションものなど、表現したい題材によって、また作品内でのおおまかなシーンごとによってこれらの技法を使い分けていくなど考えられます。

 たとえば第一回「If」のようなホームドラマを想定してみましょう。

 最初の視点はリビングの壁際(壁の花型)です。視聴者は視界を左右させたあと、目の前の少し遠くにあるソファーと、そこに集まる人々を発見します。

 次に視点はソファーに寄ります。斜め上から家族をぐるり眺めることができるするカットです。それぞれが各自で色々なことをやっている様子がわかります(ゲームブック型)。家族全体での会話が交わされるカットです。

 そして事件が起こります。会話のなかで実は血縁がないと両親から知らされた息子と娘は、ショックのあまりソファーから立ち上がってリビングを横切り、ドアから出ていこうとします(視聴者の視線も二人を自然に追従します)。しかしその行く末にはダサTを着た人物が待ち構えていたのでした(絵巻物型)。

 こんな感じでしょうか?


 工夫をよく凝らせば、どうしてもアトラクション的な見方になってしまう全天周映像へ、VR空間だからこそできる、Vtuberだからこそ出せる「ドラマ性」を持たせられるのではないかと思います。

 

最後に そして別解?

 今回は時期尚早ながら、すこしVRドラマの未来を見て、映像技法はどうなるのか考えてみようという記事でした。

実地での生のノウハウや感覚がわからない分、ずいぶん適当な表現が多くなってしまったことをお詫びしたいです。が、筆者がこの分野にとてつもない可能性を感じていることは確かです。しかしいかんせんテクノロジーに疎くて………。

 やはり自分は歴史の地層を掘る方が向いているようです。ではちょっくら掘ってみると、映画の歴史の最初の方に面白いアイデアがありました。

 それは「活動弁士」です。声がついていない「サイレント映画」が主流だったころに存在した職業で、その場その場の人物のセリフや状況を時にまくしたて、時に情感豊かに演説し解説するという仕事。

 360°ドラマにも、さりげないしぐさや声掛けで視線や注意を誘導してくれる人、いわば「ムービーフェアリ―」とでもいうべき登場人物がいたら?あるいは、視界の端で移動を促してくれる犬妖精がいたら?

 必ずや、素敵なドラマになってくれることでしょう。

 

はやく観たい

(おわり)